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一見すると貧窮してどん底でも実は困窮してない

ここ数か月、手元に現金が殆どなく、口座残高も少ない状態が続いているが、飢える事も乾く事も寒さをしのげない事もない。住む家はあり、工房(事業所)も存続し、1台数十万円の機械も時々回っている。

先週辺りから、パソコンに関するトラブルが頻発している。それも我が家のデスクトップパソコンがトラブルに見舞われており、2回もOSを変えて戻している。

そんな状況が数ヶ月も続いているのに一度もひもじい思いをしていない。神(天)は日ごとの糧を与えて下さっている。人々を通して差し入れと称しての場合もあれば、余りものやおすそ分けと言う場合もあり、様々な形で必要なものを供給してくださる。

現金収入は今のところ少ないが、事実、私も妻も飲み食いは足りている。衣食住は足りている。

現代人の尺度では、到底恵まれているとは言えないが、不足はしてない。ギリギリかも知れないが、そんな状況で「PCトラブル連発」である。

理不尽、不条理と言える状況でこんな事を考えるのは狂気じみているか偽善者の戯言のいずれかであるが、私には狂気じみていると言われるほうが正解と思われる。

偶然にしては出来すぎた状況がある。泣きっ面に蜂であり、転んで手を付いたら牛糞だったと言う具合である。

偶発、偶然は人間の目線、人間の尺度。神には偶然も偶発も無い。だからこう考えた「この状況は好ましいとは言えない、では何故、こんな状況を与えるのか?そこで何を得て、活かせるのか?」と。

事業に福音的要素を取り入れたいと言ってはいたが、それが徐々にわかってきた。

儲けたいとか単にこれがやりたいのではなく「私の持っている○○、我々(事業所)の持っている○○を用いて誰かをハッピーにする、誰かをワクワクさせる、誰かに便利を提供する」のだと。

単に儲けるのなら道義、広義、倫理、福音的云々なんて考えないし除外する。

一時的に気付かずそこまで堕落した経緯があるので、堕落は回避したい。

困っている状況に違いはないが、覚悟を決めた上での起業でもあり、そこに自分で腑に落ちる動機が生じたので今の状況を呪う事もなく「困った時は学んでいる(斎藤一人の言葉)」と言うのを実践している。

銭はないし、解決するには銭の要る問題が頻発しているのは、神が学びと成長の機会を与えて下さった、ならば、そらが御心の中、その経験と学びで得た○○を用いて人々に提供せよと言われているような感じである。

趣味の範疇ではないから、それなりのスキルを要求される。技術だけではない何かを習得し、それに応じて人々(市場)のニーズに応えられる度合いや範囲も変わってくる。

些細な事で予定変更や質を下げたり顔色を悪くする人に誰が「信頼できる業者」として仕事を頼むのか?誰が半端業者や半端者を信頼しよいうか?

不便、困ってる、ワクワクしない、出来ない、そんな状況は部分的であれ多くの人が経験してる。それを解決するのが自分の仕事面での役割と感じている。